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月夜見神の眷族たち

最終更新日2019年 1月 4日


有終の美を飾る、風雅なる月夜見神の眷族  ウスタビガ
Rhodinia fugax
フーガと命名された小さな山繭蛾

フーガ・音楽では主題とその模倣が交互に現れる、対位法による多声音楽の様式


ウスタビガは里山から深山に棲息する蛾である。
樹々の葉が紅葉し、秋が深まる頃、ウスタビガが現れる。まるで樹々の紅葉にあわせるように。
ウスタビガは日本に棲息する山繭蛾のなかで一番最後、晩秋に出現する。有終の美を飾るのである。

 羽化したばかりのオス 2015年山梨県上野原市産
 羽化したばかりのメス 2017年東京都八王子市産



ウスタビガの摩訶不思議な生態


冬季、里山の雑木林を散策していると、妙なものにでくわす。葉の落ちた枝先にぶら下がる緑色の小さい俵のような造形物。
それは、ウスタビガの繭である。
もちろんそれは蛾がでた脱け殻ではあるが、山叺とも呼ばれている。
ウスタビガの繭は枝からぶら下がる。つまり3次元空間に吊るされた繭である。
凡そ、山繭蛾のなかまは落ち葉のなかに潜り込んで繭を作るか、あるいは樹上の木の葉や枝に繭を付着させて作るかのいずれかである。
ウスタビガのように3次元空間に吊るされた繭をつくる種類は稀有である。

でもどうしてこんな手の込んだ繭をつくるのか?不思議である。

ウスタビガが自然界で生き抜いていくのに、3次元空間に吊るされた繭は利点があるのか?それとも3次元空間に吊るされた繭は、造形者としてウスタビガの美意識の現れなのか?

 繭に産みつけられた卵 2015年山梨県上野原市にて採集


ウスタビガのメスは脱出した繭に卵を産みつけることがある。野外では繭上で交尾がおこなわれるとおもわれる。交尾が終わるとすぐに産卵がはじまるのであろう。

   1齢幼虫


冬を越した卵は広葉樹の芽吹き、新葉が十分に伸びきってから孵化する。芽吹きとともに孵化するゼフィルスなどの幼虫と比べるとやや孵化が遅い。
野外での観察だとウスタビガの幼虫は様々な広葉樹を食する。桜、梅、エノキ、ハンノキ、そしてコナラやミズナラ、クヌギなどで幼虫を観察している。
しかしながら孵化した1齢幼虫に桜、梅などを与えても、うまく食いつかないことがある。
終齢幼虫とクヌギの葉裏は色合いや形状がよく似ていることから、クヌギの若葉を与えてみると桜の枝間を徘徊するばかりの幼虫がすぐに食いつく。ウスタビガの本来の食樹はクヌギだと推察する。

2齢幼虫


黒い1齢幼虫から2齢幼虫は淡い黄色に変わる。体躯には突起かある。側面には黒い帯、背中と臀部にある突起は水色。

 3齢幼虫

3齢幼虫の体形も基本、2齢幼虫と変わらない。黒い頭部や体躯の黒い帯など幼虫には個々に変異がある。淡黄色の体色に水色の突起がアクセントになってなかなかお洒落。

 4齢幼虫


4齢幼虫では3齢幼虫まで目立っていた体躯背面にあった突起が小さくなる。形は終齢幼虫のそれと似てくる。1齢幼虫から終齢幼虫まで摂食行動以外では、大概クヌギの葉裏の中脈にて静止している。野外でもそのようにして、捕食者たちから隠れているのだろう。

 終齢幼虫


終齢幼虫では体躯から毛のある突起が無くなり、完全なイモムシになる。側面の、まるでビーズのような水色の気門が美しい。背中には一対の鬼のツノみたいな突起。この突起が繭つくりに重要な役割を果たすに違いない。


成熟するといよいよ繭をつくる。
終齢幼虫は先ず、枝間をさかんに歩き回って繭つくりに最適な場所を探す。幼虫の行動をみていると安易に場所を決めない。枝振りや葉の位置関係をしっかりと見極めているようだ。
場所が決まると支柱となる枝に繭を支える糸寄りを紡ぎ、さらにその枝に数カ所、細い糸を吐き、そして支えとなる葉にも数カ所、糸を吐き、足場なるものをつくる。人間で言う建築現場の足場作りと同じだ。
足場に体躯を預け、慎重、かつ緻密に繭の原型を作成する。
大まかな繭の原型をつくると糸を吐いて繭の成形に勤しむ。決して休むことはない。
時には繭から頭を出して、繭を吊るす糸寄りを補強する。それはまさしく命綱であるから手を抜かない。
狭い繭のなかで体を折り曲げながら、どんどん作業を進める。繭つくりを観察していると背中にある一対の鬼のツノみたいな突起が繭作りの正確な形状把握のセンサー的役割を果たしているように思える。
繭の下部には繭内に侵入する雨水を逃す小さな穴もつくる。あんな幼虫に雨天を見据える先見があるなんて・・・・言葉がない。
繭つくりの処方はウスタビガの遺伝子のなかに組み込まれているのか、一介の小さな蛾と言えどもその繭作りの技法、知恵にはただただ驚かされるばかりだ。




 繭が完成した


暑い夏を無事に過ごし、秋が深まる頃、神奈川の里山では11月の上旬にウスタビガの羽化ははじまる。近年残暑が厳しく、そして長いので11月になってもまだまだ暑い日もある。そのためかウスタビガの羽化が遅くなっているような気がする。
繭を家屋に取り込んでおくと羽化はもっと遅れる。12月になって繭から羽化した個体もいるのだ。
室内に取り込んでいる繭からの羽化は、オスでもメスでも夕方からはじまる。それも晴れた日だ。野外ではまず雨天の日は羽化しないであろう。家中の繭のなかにいてどうして外の天気が解るのか?不思議だ。オスはメスよりも数日早く羽化する。


ウスタビガは前翅、後翅とも中央に鱗粉や毛のない部分がある。それはまるで紅葉した木の葉に虫食い穴を表現しているように見える。鳥などの外敵から逃れるために紅葉した葉に似せているのか?進化の過程で獲得したものか?しかしながら造形的に素晴らしい表現だ。

11月中旬ともなると、雑木林の夜は冷え込む。冷たい夜気のなか、月の冴えた光に照らされて、銀色に輝きながら樹の間を飛翔するウスタビガは神秘ですらある。


優美で風雅な蛾、ウスタビガは月夜見の神の眷族にふさわしい。



冬季、樹枝に残る山叺(ウスタビガの抜け繭)


冬季、山野を散策していると落葉した樹々の枝にぶら下がったウスタビガの繭(成虫が脱出した抜け繭)、山叺を見つけることができる。

ウスタビガは繭を枝にくくりつけるため、葉裏で繭になるヤママユガのように葉とともに地表に落ちることなく繭は樹上に残り、ぶら下がっている。
落葉した雑木林は一面灰褐色の世界である。そこにぶら下がっている鮮緑色の山叺は目立つ。

そしてそれはその地域でのウスタビガの生息を確認できるものである。



2018年  山叺を探す!


2018年1月2日、東京都あきる野市にて山叺を探すが、見つけることができなかった。

2018年1月3日、東京都八王子市鑓水で山叺を探すが、見つけることができなかった。
八王子市鑓水は2017年5月にウスタビガの幼虫を2頭発見したところである。

2017年の12月、神奈川県秦野市の渋沢丘陵から山叺を見つけることができなかった。
2018年1月7日、神奈川県秦野市渋沢丘陵にて再度山叺を探すが、発見することができなかった。

このまま関東の里山からウスタビガが消えていくのか?



2019年  山叺を探す!


2018年の冬季はウスタビガの繭、山叺を発見することはできなかった。
雑木林の落葉を待って再度、ウスタビガの繭『山叺』の探索に挑む。
昨年と同じ地点を探す。

東京都あきる野市
斜面に生えるコナラ、クヌギや他の広葉樹などの雑木林のへりを探す。ウスタビガの山叺を林の内部から見出すことは極めて稀である。大概、開かれた雑木林のへりから見つかる。

見つからない。

ウスタビガの山叺を探している中に、別の蛾の繭を見つけた。
それは、クスサンの繭だった。 クスサンの繭 2019年1月1日
あきる野市のここでクスサンの繭を見たのははじめてだった。近くにまだ別のクスサンの繭があるのではないかと思い、探してみるが無かった。
ところが、見つけたクスサンの繭、いわゆる”透かし俵”は蛾の抜けた後ではなかった。蛹はかたちをとどめており、おそらく透かし俵のなかで死んだものと思われる。2018年の夏の異常な暑さのためか?

神奈川県秦野市
あきる野市同様、コナラ、クヌギや他の広葉樹などの雑木林のへりを探す。

昨冬同様、ここでも見つからない。見つかる気配がまるでしない。

ウスタビガの山叺を探していたら、他のものを見つけた。
それはゼフィルスのなかま、オオミドリシジミの卵だった。 オオミドリシジミの卵 2019年1月2日 オオミドリシジミの卵
オオミドリシジミのメスは日陰の小枝の分岐点などに産む。芽吹いた新葉が直ちに硬化する、日の当たる明るい環境の枝には決して産卵しない。孵化した若齢幼虫が柔らかい新芽を食せるようにと母蝶の心使いを思う。

東京都八王子市鑓水
2018年同様この地におもむく。
今季も里山に暮らすウスタビガの山叺を見つけらずに終わるのかと諦めはじめたところ、ようやく山叺を見つけた。
そこは広い空間に面した雑木林のきわであった。広場を挟んで雑木林の対面には畑があり、人家が建つ。
実に人間くさい里山環境にてウスタビガの山叺と遭遇できたことが嬉しい。

  オスの繭、ミズキの枝にぶら下がる  2019年1月3日
八王子市鑓水は2017年5月にウスタビガの幼虫を2頭発見したところである。やはり八王子市鑓水にはウスタビガはまだ生息している。
 ミズキの高い枝にぶら下がるメスの繭、繭の表面に卵が付いている


今冬、東京都八王子市鑓水にて遭遇したウスタビガの山叺はミズキの樹にぶら下がっていた。
この繭の造形主、ウスタビガの幼虫はミズキの葉を食していた可能性が大きい。
ウスタビガの幼虫の食樹はブナ科のコナラ属、クヌギ、コナラ、ミズナラが基本だと推定するが、野外ではサクラのなかまからも幼虫が見つかる。
そしてミズキの枝にぶら下がる繭は、ウスタビガの幼虫の食性を考えるうえで興味深い。







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