ホーム > 蝶や蛾の世界を慧眼する > スギタニルリシジミ
深山に棲息するシジミチョウがいる。
暗青銀色に輝く、燻し銀の小灰蝶、かの蝶はスギタニルリシジミ Celastrina sugitanii である。
スギタニルリシジミは年一回早春に出現する。スギタニルリシジミは春の到来を告げる春信風なのだ。
早春の陽の光を浴びるスギタニルリシジミ 山梨県上野原市 2014年3月
集団で吸水するスギタニルリシジミたち
スギタニルリシジミ Celastrina sugitaniiの近似種にルリシジミ Celastrina argiolusがいる。
スギタニルリシジミとルリシジミは外見上良く似ている。
ルリシジミ は年に2回以上新しい成虫が発生する。
スギタニルリシジミはまだ樹々の芽吹かない早春を選んで、しかも年に一度しか出現しないことにどんな意味があるのだろうか?
生存を確かにする為の戦略??
年に数回発生するよりも、年に一回だけ、それも早春に現れることがスギタニルリシジミが生存していくゆえで優位に働くのか?
スギタニルリシジミの母蝶はトチノキ科のトチノキの蕾に卵を産む。
そして幼虫もトチノキの葉は食べずに、蕾や花だけを食べる。
それに対して近縁であるルリシジミの幼虫の食性は広い。マメ科のフジ、クララ、クズ、そしてミズキ科のミズキ、ミカン科のキハダなどの蕾や花、若い果実なども報告されている。
大概、チョウの幼虫の食性は特定の植物に限定される。ギフチョウの幼虫はウマノスズクサ科のカンアオイ類だけを食べるし、オオムラサキの幼虫はニレ科のエノキ・エゾエノキしか食べない、オオルリシジミの幼虫はマメ科のクララの蕾や花のみだけ食する。
それはチョウと植物との間に交わされている厳粛な約束を物語る。
しかしながらルリシジミの幼虫がマメ科からミズキ科、ミカン科にわたって食性を広げているのならば・・・
蕾や若い果実であれば植物なら何でもよろしいということになってしまうのだ・・・・
ではスギタニルリシジミではどうであろうか?
外見の上でルリシジミととても似ているスギタニルリシジミはトチノキ以外の植物の蕾や若い果実を食べるのであろうか?
山梨県上野原市でスギタニルリシジミを観察できるところがある。そこは巨大なトチノキが谷間に点在する深山幽谷。
そこにいく途中でカタクリに出会う。
カタクリの可憐な花、山梨上野原市では珍しいかな? 山梨県上野原市 2014年3月
トチノキの花 山梨県上野原市 2014年5月
トチノキの蕾に産卵された卵 山梨県上野原市 2014年5月
若齢幼虫
トチノキの蕾を食する幼虫
トチノキの花は日持ちがしない。スギタニルリシジミの食性転換を調べるためにもこの時期、キハダの花が咲いているのでスギタニルリシジミの幼虫に与えてみる。
キハダの若い蕾が気に入ったのか、直ぐに摂食し始めた。
キハダを食する終齢幼虫
キハダの蕾を食べて成熟した幼虫は体色が赤くなる。蛹になる前兆。同じ小灰蝶の仲間のオオルリシジミも成熟すると白色の体色から淡いピンク色に変わる。
前蛹
飼育容器のなかに落ち葉を敷いておくと、そのなかで蛹化してくれる。野外でも高さ10メートルを超えるトチノキの、その幹を地表まで降りて、落ち葉のなかで蛹になるのだろうか?でもそれともトチノキの幹で蛹化するのだろうか?
野外でスギタニルリシジミの蛹を見つけたい。
蛹へ
赤褐色に落ち着く
蛹の色と落ち葉の色はあらかた同系色であることがわかる
他の個体の蛹
スギタニルリシジミはトチノキ科のトチノキからミカン科のキハダに食性転換ができ、蛹まで至る。
スギタニルリシジミの幼虫はトチノキの蕾や花の他に、キハダのそれも摂食した。野外でもキハダにスギタニルリシジミの母蝶は産卵する可能性がある。
残念ながらスギタニルリシジミの蛹は翌春、羽化させることができなかった。秋を待たずに蛹は死んでしまった。夏の管理に失敗したのか、それともやはりトチノキからキハダへと食性転換したことに死亡原因があるのか、はっきりしたことはわからない。
スギタニルリシジミは深山幽谷に住まう小灰蝶である。早春、トチノキの落ち葉の上をか弱くひらひらと飛んでいる。春先の深山は寒い。時折、早春の陽光に受けて暖をとっている。
スギタニルリシジミの出現と時を同じくして開花したスミレやカタクリから花蜜をいただく。その蝶姿は可憐である。
2015年山梨県上野原市でトチノキの花から採集したスギタニルリシジミの数頭の幼虫は寄生を受けており、すべて蛹までには至らなかった。
スギタニルリシジミの幼虫はかなり小さい。それでも寄生を受けている。自然界は厳しい。
2017年同地でたまたま手が届くトチノキの花を見つけ、スギタニルリシジミの卵と若齢幼虫を確認したので飼育を試みる。
トチノキの花は日持ちがしないので、幼虫の食餌をキハダの花に切り替える。
ところがキハダの花も日持ちが悪く、さらに餌を確保していたキハダの花が散ってしまい、幼虫が十分に成熟する前に食餌がなくなってしまった。
それでも9頭の蛹を得ることができた。
前回の失敗を踏まえ、夏場の管理には細心の注意を払った。
コナラやクヌギの落ち葉と湿り気を与えた水苔を敷いた容器に蛹を並べ、それを発泡スチロールのなかに保冷剤ともに入れて常に低い温度で蛹を管理した。
それでも体力のない蛹は死んでいく。最終的に4頭の蛹が残った。
2018年を迎え、1月2月は外に置き、乾燥しないように定期的に霧吹きをした。3月となり、いよいよスギタニルリシジミの羽化を待つ。
4頭の蛹のうち、1頭に羽化の前兆が現れた。
ようやく念願のスギタニルリシジミのオスが羽化した。
2018年3月10日のことである。
オスの羽化から7日後にメスが羽化した。とうとう雪辱を果たした。10ヵ月におよぶ苦労が報われた。
スギタニルリシジミはトチノキの蕾、花からキハダの蕾、花へと食性転換はできる。
野外において幼虫がトチノキの花からキハダの花を食べることはありえないが、スギタニルリシジミはトチノキの無いところではキハダを利用して生息していると十二分に考えられる。
トチノキはトチノキ科トチノキ属の樹木であり、キハダはミカン科キハダ属である。樹木として系統が異なる。実に不思議である。
裏面の斑紋に異常のあるメスが羽化した。